断酒101日目|英語のドラマを観ていたら、人生について考えていた

断酒日記

酒をやめて101日目。

100日という大きな区切りを越えて、今日からまた次の一日が始まりました。

最近は断酒そのものについて「今日は我慢した」という感覚はほとんどありません。

むしろ、それによって戻ってきた時間や集中力を何に使うかのほうが大きくなってきました。

その一つが英語です。

ここ数日は、英語字幕を使わずに海外ドラマを観ています。

そして今日、シーズン1を最後まで観終わりました。

免許を取ったばかりで一人で運転しているような感覚

今の英語力について考えていて、ふと思ったことがあります。

自動車教習所を卒業して、免許を取ったばかりで、一人で車を運転しているときの感覚に少し似ています。

もちろん、何でも完璧にできるわけではありません。

知らない単語もあります。

聞き取れない会話もあります。

特にイギリス英語には、まだ慣れていない部分があります。

それでも以前のように、

「何を言っているのか全然分からない」

という状態ではなくなりました。

分からない部分が多少あっても、そのまま先へ進めます。

そして物語の流れについていくことができます。

免許を取ったばかりなら、運転が上手とは言えなくても、とりあえず一人で目的地まで行くことはできます。

今の英語も、そのくらいのところまで来たのかもしれません。

英語圏へ行ったとしても、普通の買い物くらいなら何とかできそうな気がしてきました。

これは以前の自分からすると、かなり大きな変化です。

英語字幕がないほうが分かることもある

以前は、英語の映画やドラマを観るなら英語字幕を出したほうが理解しやすいと思っていました。

ところが最近は、字幕を消して音だけで観ています。

すると意外にも、そのほうが物語についていきやすいことがあります。

字幕があると、どうしても文字を読もうとしてしまいます。

そして読むことに意識を取られているうちに、次の会話が始まって迷子になることがあります。

字幕がなければ、聞こえてきた英語をそのまま受け取るしかありません。

分からない一言があっても止まりません。

そのまま次へ進みます。

すると会話の流れ、表情、場面、知っている単語などがつながって、全体として意味が分かることがあります。

一言一句を日本語へ翻訳しているわけではありません。

気がつけば、そのままストーリーを見ています。

シーズン1を最後まで観ることができた

今日はついにシーズン1を観終わりました。

ここまで普通にストーリーについていけたことに、自分でも少し驚いています。

以前にもこの作品を観ようとしたことがあったのですが、そのときは途中で挫折しました。

ところが今回は、

「次はどうなるんだろう」

という気持ちのほうが強くなって、どんどん続きを観てしまいました。

英語の勉強をしているというより、普通にドラマを観ています。

以前なぜ挫折したのだろうと思うくらいです。

もちろん、自分の英語力が急に完成したわけではありません。

分からない会話もたくさんあります。

それでも物語を楽しむには十分になってきた。

ここが大きな変化なのだと思います。

英語を聞いていることを忘れる瞬間

最近、映画やドラマを観ていると不思議なことがあります。

物語に入り込んでいると、英語を聞いていること自体を忘れます。

そして途中で、

「あれ? 今、普通に観ていたな」

と気づきます。

そこで、

「今、自分は英語を日本語に翻訳して理解していたのだろうか?」

と考えてみます。

でも自分でもよく分かりません。

おそらく、いちいち日本語に直してはいないのでしょう。

音と意味と映像が、そのままつながり始めているのかもしれません。

以前は、

英語 → 日本語 → 意味

という順番だったものが、

英語 → 意味

になりつつあるような感覚があります。

ドラマの言葉が、自分自身に向けられているように感じた

今日観た中で、特に印象に残った会話がありました。

主人公が人生や映画について語る場面です。

映画は終わる。

人生も終わる。

では、終わるものには意味がないのか。

そんなことを考えさせられる会話でした。

そして、映画ならもう一度観ることができるけれど、人生はもう一度観ることができない。

そんな内容もありました。

ここは妙に心に残りました。

自分自身も、似たようなことを考えることがあります。

人は最後には死ぬ。

それなら、一生懸命何かをすることに何の意味があるのだろう。

そう考えてしまうことがあります。

でも映画だって終わります。

映画が終わるからといって、

「どうせ終わるのだから観ても意味がない」

とは考えません。

むしろ終わりがあるからこそ、その途中を楽しむのかもしれません。

人生も同じなのかもしれない。

今日のドラマを観ながら、そんな一つの答えをもらったような気がしました。

最近映画をよく観ているからこそ響いた

この話が強く残ったのには、もう一つ理由があります。

最近、自分は本当によく映画を観ています。

しかも英語で観ています。

映画を楽しむことが、今の日常のかなり大きな部分になっています。

だからこそ、人生を映画に例えたこの会話が、とても自然に入ってきました。

まるで今の自分に合わせて説明してくれているようでした。

人生について難しい言葉で説明されるより、

「映画だって終わる。でも観る意味はあるでしょう」

と言われたほうが、今の自分にはずっと分かりやすい。

英語を聞き取れたこともうれしかったのですが、それ以上に、その英語で語られた内容に共感できたことが印象に残りました。

断酒して戻ってきたものは、時間だけではなかった

101日前までの自分なら、こんなふうに一つのドラマをじっくり観て、その中の言葉について考える時間はあったでしょうか。

酒を飲んでいた頃は、夜になれば酒を飲み、酔い、眠る。

休日ならもっと早い時間から飲んでしまうこともありました。

時間そのものは存在していたはずです。

でも、その時間を何かに集中して使えていたとは思えません。

酒をやめて戻ってきたのは、単純な「時間」だけではなかったのかもしれません。

映画を観て内容を考える集中力。

英語を聞き続けられる頭。

何かに感動する感覚。

そして、

「もっと続きを見たい」

と思える気持ち。

そういうものまで少しずつ戻ってきたように思います。

101日目は、普通にドラマを楽しんだ一日だった

今日は特別なことをしたわけではありません。

英語のドラマを観て、シーズン1を最後まで観ただけです。

でも、少し前の自分から考えると、それだけでもかなり大きな変化です。

字幕なしの英語でもストーリーを追える。

聞き取れないところがあっても気にせず進める。

そして最後には、英語の勉強をしていたことより、作品の内容について考えている。

英語が「勉強するもの」から「使うもの」に少しずつ変わってきたのだと思います。

断酒も似ているのかもしれません。

最初は「酒を飲まないこと」そのものが大きな課題でした。

でも101日目の今は、酒を飲まないことよりも、

酒を飲まなくなった時間で何をするか

のほうが大切になってきています。

今日観たドラマのように、物語にはいつか終わりがあります。

人生にも、おそらく終わりがあります。

だから意味がないのではなく、終わるまでに何を見るのか、何を感じるのか、何をするのか。

今は、その時間を以前より少しちゃんと使えているような気がします。

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